郷原洋行(元JRA騎手)の死因は何?持病があった?

元JRA騎手であった郷原洋行(ごうはら ひろゆき)さんが1月31日に亡くなられていたことが発表されました。

郷原さんは、G1級10勝を挙げるなど昭和から平成初期に大活躍した騎手です。

現役時代は、「豪腕・郷原」と呼ばれ、豪快な追い方で勝利を挙げ多くのファンを魅了しました。

騎手を引退した3日後に調教師の免許を取得して、美裏トレーニングセンターに厩舎を開業されました。

1999年に「ゴーカイ」が重賞初勝利を挙げ、その後はG1連覇を果たすなど大活躍しました。

2011年に調教師を引退。2014年に競馬殿堂入りを果たされました。

調教師引退後は、評論家としても活躍されていました。

しかし、近年は入退院を繰り返していたという郷原さんの死因について調べてみました。

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郷原洋行(元JRA騎手)の経歴

出典 日刊スポーツ

名前 郷原 洋行(ごうはら ひろゆき)

生年月日 1944年1月21日

出身地 鹿児島県鹿屋市

実家は農家で、5人兄弟の次男。

小さい頃から農耕用の馬に乗っていて、馬に親しみ乗りこなしていました。

中学時代はマラソンを好きになりましたが、東京に出たい一心で騎手を目指されました。

中学卒業後、馬事公苑騎手養成長期課程へ入所し、1962年3月に騎手デビュー。

1993年に引退するまで通算1515勝を挙げました。これは、当時で史上第4位の記録でした。

「馬を追えることにかけては日本競馬史上最も秀でた騎手」と賞賛され、「豪腕」の異名で評されました。

が、本人は「腕っぷしの強さはあまり関係ない」と異名を否定されていました。

「豪腕」郷原さんが76才という若さで亡くなられた原因は何だったのでしょうか?

郷原洋行(元JRA騎手)の死因は何?

メディアの発表では、「病気のため」と発表されています。

調べてみましたが、死因については公表されていませんでした。

近年は入退院を繰り返していた、ということなので何かの病気と闘われていたのかもしれません。

郷原さんは持病があり、闘病していたそうなので、そちらが死因と関係あるでしょうか。

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持病は何?

郷原さんは、現役時代であった1971年、右足に痛風を患っていました。27才の頃です。

朝起きて、靴下を履くのに30分もかかる。「何しろ痛い。真面目な話、騎手生活も半分諦めた」

出典 netkeiba.com

一時は引退も考えたそうです。

しかし、懇意であった馬主の栗原友二さんに説得され、体質改善により痛風を克服しました。

「痛風を一生連れ添う友達だと考えて節制した。(東京の)虎ノ門にある病院の先生と真剣に話し合って、痛風のメカニズムと、食事や運動で自分の体をどうコントロールすればいいかを教わった」

出典 netkeiba.com

辛抱強い薩摩隼人の精神で辛い持病を克服されました。

そんな郷原さんなので、病気と辛抱強く闘われていたのだと思います。

競馬界・ネットの反応

郷原さんの長男で、現在調教助手をされている、正洋さんが喪主を務められコメントされました。

「父が偉大な騎手といわれるようになれたのも、多くの方々の支えがあったからです。皆さまに感謝していますし、父も同じ気持ちだと思います。父を見て育ち、父の厩舎で調教助手として一緒に馬を育てられたことは、何よりの思い出です」

出典 ヤフーニュース

「奥さんを先に亡くして、元気がなくなってしまったようだった。騎手になった頃からずっとお世話になった先輩。自分の前に騎手会長をされていた方で、人望もあった。少し早すぎます。残念だ」 柴田政人元調教師

出典 ヤフーニュース

また、ネット上でも悲しみの声が挙がっています。

出典 ツイッター

まとめ

昭和から平成初期にかけて活躍された元JRA騎手の郷原洋行さんが1月31日に亡くなられていたことが発表されました。

郷原さんは、力強く馬を追う姿が印象的で「豪腕・郷原」の異名で親しまれていました。

1971年(27才の頃)右足に痛風を患いました。

引退を考えたほどでしたが、辛抱強い薩摩隼人魂で病気を克服されました。

郷原さんの死因は発表されておらず「病気のため」とのことです。

競馬界からもネット上からも郷原さんの訃報を悲しむ声が挙がっています。

郷原洋行さんのご冥福をお祈りいたします。

 

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